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417件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-03-13 第196回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

そして、九月に田中首相が訪中されて日中関係が正常化したことは御承知のとおりです。  これは大げさ過ぎるかもしれませんが、そういう類いの衝撃、つまり、南北首脳会談して、米朝首脳会談した後、次に残ってくるのは、次に浮上してくるのが何かと言われれば、私は、日朝関係正常化とか日朝首脳会談というようなテーマが、こちらが望むか望まないかに関わりなく、浮上してくるだろうと推測しているわけであります。  

小此木政夫

2018-02-21 第196回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第3号

福田ドクトリンの二番目、ASEANと心と心の触れ合う関係を構築するというところは、必ずしも目立つ言葉でないのかもしれませんし、普通、二番目辺りには経済の協力が来ると思うんですけれども、この一、二、三、日本軍事大国にならない、ASEANと心と心の触れ合う関係を構築する、日本ASEANは対等なパートナーであるという文言が出てきたところを私なりに考えますと、その前に田中首相タイやインドネシアを訪問したときに

熊岡路矢

2012-03-22 第180回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

当時は社会保障はそれほど充実していなかったので、政策判断としては間違いじゃなかったと思いますが、ただ、いろいろ漏れ伝え聞いたり文献で調査してみると、やっぱり田中首相選挙の天才であられましたので、もう直感的に御理解されているわけですね。社会保障は票になるということがお分かりになっていたわけであります。

大塚耕平

2009-04-27 第171回国会 参議院 決算委員会 第6号

それはでも、しかしなかなか順調にはいかず、田中首相がいたころまでは列島改造計画もありましたので、四十五年にこれは全国新幹線鉄道整備法が制定され、東北新幹線、上越新幹線が四十六年に着工、四十七年には全国基本計画が決定して、そのときの基本計画はなかなか不採算路線もたくさんあったと思うんですが、整備五線に関しては、これは完全に採算的にも問題がないとされていた路線だったと思います。

森田高

2009-04-22 第171回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号

この事業というのは、一九七〇年代初頭のアメリカ政府大豆輸出禁止が発端となって、当時の田中首相が、大豆輸入国多角化を目的に、大豆の新産地をブラジルにつくろうということで開始された。その結果、一九八〇年には総輸入量の一%未満であったブラジルからの大豆輸入が九九年には一二%まで増加をしたということでありますが、これは今どのぐらいまで増加をしているのか。  

神風英男

2007-03-27 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号

ちょっと、真夜中の夜食の件とは違うんですが、日本経済新聞の一九七二年九月二十七日の朝刊によりますと、田中首相はこの日、朝食は日本から持参した梅干しとノリを添え、みそ汁新潟柏崎、確かに出てきます、新潟柏崎みそを使用、これは、随員もこれと同じものを食べたけれども、何しろ総理は辛いものが好きなものですから、それに合わせた調理だけあって随員の面々は、きょうのみそ汁はしょっぱかったなあと嘆くことしきりというのは

松島みどり

2006-10-06 第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号

総理は、やはりあす中国に行かれるに際して、実は田中首相日中国交回復から小渕内閣時代まで、少しずつ少しずつ積み重ねてきた日中の政治的な信頼関係というものがあったんだと思います。その後、首脳同士が会えなくなった小泉首相時代、それをもう一度私どもは取り返し、さらに二倍、三倍、前に進めていかなければ北東アジアの危機は乗り切れないんだと思います。

阿部知子

2004-08-05 第160回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

私は、かつて、昭和四十八年から五十一年まで、東南アジア、タイ大使館にいたこともありますが、田中角栄首相が来まして、反日運動が起きて、田中首相が来たら三千人のデモ隊がそのホテルを襲って、田中さんが身の安全が危ないというような情報が事前にありまして、大使に報告しましたところ、外務省と相談しまして、大使タイ外務大臣に会って、タイ外務大臣に対し、閣議を開いて日本首相の安全を保証するという一札を出さない

松村龍二

2003-05-07 第156回国会 参議院 決算委員会 第6号

今までの専守防衛の定義というのは、例えば今言われたような船田さんが、船田防衛庁長官鳩山さんの代理で、鳩山総理大臣の代読という形で言われたり、あるいはまた昭和三十四年に伊能防衛庁長官の発言があったり、あるいはまた田中首相がこれ、専守防衛とは何かということを述べられているところもあるんですね。  

山根隆治

2001-05-17 第151回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

日本は、福祉後発国として、田中首相のときの福祉元年もスタートしたばかりですし、どういう福祉社会を建設すればいいのか、先進国の轍を踏まないためにはどうすればいいのかというので、日本型を考えてみようということが言われました。  日本型を考えてみたときに、あのときは、子供との同居を日本高齢者は非常に志向している。

木村陽子

2000-11-08 第150回国会 衆議院 外務委員会 第2号

昨今のアメリカ、そして北朝鮮、日本北東アジアのトライアングルを見ておりますと、私は、三十年前の米中接近、そしてこの頭ごなし外交に対して田中首相が驚いて急遽北京入りしたという、いわばキッシンジャーが「ホワイトハウス・イヤーズ」に書いておりました日本外交の悪夢をまた想起したわけでございます。クリントン政権の最末期に当たって、とにかく外交成果を上げなければいけない。

前田雄吉

2000-10-12 第150回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第5号

もう御案内と思いますけれども、昭和四十七年、田中角栄内閣のときに、田中首相が突然のようにして小選挙区の導入ということを言い出されました。当時、自民党はもう三百近い議席を持っていたんですけれども三分の二には達していない、やっぱり小選挙区を導入して憲法改正を実現しようというのが当時の保守政界の多年の悲願と。田中さんは人気絶頂、おれがやろうということでそれを言い出された。  

佐藤道夫

2000-04-13 第147回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第4号

ロッキード事件田中首相が逮捕され二十数年がたった今日も、政治家が関与する腐敗事件は残念ながら後を絶ちません。国会でもいろいろ論議されておるところであります。最近もいろいろそうした問題等が続出をしておると言っても過言ではありません。これらの背景には、支持者に頼まれ役所に口をきくことは政治家本来の仕事であるという政治的風土、考え方が横たわっておるのではないかと思います。  

中西績介

2000-03-02 第147回国会 参議院 予算委員会 第3号

橋本総理もそうでありますし、私も田中首相以来二十五年ぶりにモスクワ・クレムリンに参りまして、エリツィン大統領とこの問題について話し合いました。まさに首脳同士での話に始まったことでございますので、私としても何としても今年中にということで努力を傾注いたしておるところでありますが、新しい大統領も近々誕生することだろうと思います。  

小渕恵三

1998-12-10 第144回国会 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(小渕恵三君) 戦後、鳩山首相田中首相に次いで二十五年ぶりに私としてロシアを訪問いたしましてエリツィン大統領との会談をいたしました。言うまでもありませんが、多年の懸案であります領土問題を解決して二〇〇〇年までに平和条約を締結いたしたい、こういうことで参りました。  今年の四月に橋本総理大臣から提案をいたしておりました件につきまして回答を得たい、こう念じて参ったわけでございます。

小渕恵三

1998-10-02 第143回国会 衆議院 外務委員会 第6号

八代委員 日中国交正常化、あれから二十年たつわけですが、田中首相北京空港におり立ちまして、周恩来主席と抱き合って、そしてお互いにかたく新たな日中関係がスタートしたという思いを持ちますと、私もちょうど国会が二十年になるものですから、何か感慨深いものもあるのです。  しかし、どうも中国は近そうで近くなく、遠そうでやはり遠いのかなという気がするし、何か難しい中国日本関係という思いがあるのです。

八代英太

1998-03-31 第142回国会 参議院 交通・情報通信委員会 第7号

田中首相は島さんを呼びつけて、「「前田の首を切れ」」と二回にわたって言っていて、小野会長にかわるまでの七ページにわたって詳しい経過が出ている。いつも会長人事はそうです、そういうたぐいです。NHKの経営委員長、これは中曽根首相竹下大蔵大臣磯田一郎経営委員長を実現するために圧力をかけた経過がやっぱり三ページにわたって書かれている。  

上田耕一郎